当時の職場は、区画整理事務所でした。主な仕事は、区画整理地内の地権者に、新しい区画に移ってもらうための移転交渉でした。
地権者の中に、私の叔母の家がありました。正確に言うと「叔父の奥さんのお姉さん」です。
血は繋がっていませんが、子供の頃から叔母さんとして、可愛がってもらっていました。
その叔母の交渉担当者が、パワハラ先輩のOさんでした。彼は、私の叔母にまで嫌がらせを始めたのです。
それは、酷いものでした。登場、叔母のご主人は、末期ガンに犯されており、余命が宣告されていました。
叔母の願いは、何とか早く移転を済ませ、新居でご主人を看取ることでした。その事は、私も知らされていましたから、1日でも早く交渉がまとまることを祈っていました。
しかし、ここでOさんの嫌がらせが始まったのです。移転を急ぐ叔母に対して、のらりくらりと交渉を伸ばし、とうとうご主人が亡くなるまで、交渉をまとめなかったのです。
考えられないことでした。私達の仕事は、移転交渉を一刻も早くまとめ、区画整理を終わらせることです。
誰もが、その事に努力していました。それを、相手が移転したいと言っているのにも関わらず、交渉をまとめなかったのです。
私は、思いきってOさんに真意を聞きました。Oさんは一言、「仮設住宅で死なれたら、気持ち悪ぃじゃないか」と言いました。
移転をスムーズに進めるために、区画整理事務所では、仮設住宅を用意していました。
1日でも早く、古い家を取り壊してもらうためです。取り壊してさえもらえれば、そこに、別の家が新しく建てられるからです。
結局、叔母が私の親戚だと知ったOさんが、叔母の思う通りには、したくなかったのです。それもこれも、すべて私が嫌いだったからです。
叔母のご主人のお葬式が済んでから、叔母に会う機会がありました。
叔母は、私を責めました。「貴方が同じ事務所に居ながら、なんともならなかったの?何でOさんは交渉を進めてくれなかったの?」と、私は、何も言えませんでした。
仕事上の守秘義務もありますし、まさか私がOさんに嫌われていることが、叔母さんの移転交渉に影響したとは、言えませんでした。
叔母は、「私はOさんを一生恨む。貴方の顔も2度と見たくない!」と、その場で絶縁されてしまいました。
子供の頃から可愛がってもらった叔母に、絶縁されてしまったのです。それは、ショックでした。
これ以降、叔母と会うことはありませんでした・・・。
私の祖母のお葬式に、叔母が出席してくれるまで・・・。その間、実に14年間でした。
長い文書になってしまいましたが、ここまで読んでくださった方ありがとうございました!